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函館市を見守る和洋折衷の屋敷は屋根と洋間が特徴的だった

屋根

写真提供:旧相馬家住宅

 
函館市にある「旧相馬家住宅」は、かつて北海道屈指の豪商として名を馳せた初代相馬哲平の私邸として建てられた和風建造物です。洋室や趣のある佇まいが高く評価され、2018年には国の重要文化財に指定されました。現在は、一般の方が利用できる観光施設として開放されています。今回は、そんな歴史的住宅の特徴や歴史をご紹介します。
 

函館市元町にある歴史的住宅


写真提供:旧相馬家住宅

 
南西に函館山、北東には函館港。旧相馬家住宅がある函館市元町は、山と海に囲まれた人気観光地です。同時に、明治末期から昭和初期にかけて建築された建築物が多く残っている「伝統的建造物群保存地区」で、函館の歴史と文化を表現する場所でもあります。その街に旧相馬家住宅が竣工したのは1908年。現在は、貸部屋や美術館、カフェなどがある施設として一般の方にも開放されています。
実はこの屋敷、1907年に函館西部地区全体を襲った大火により、一度焼失しています。翌年建て直すことになった際、職探しに困っていた函館市民を雇用するため、多くの職人が再建に関わることになりました。その結果、一軒の中にさまざまな意匠のある珍しい屋敷が完成したのだそうです。大部分が和風建築ながらも、洋室があったり外壁部分がグリーンのペンキ塗りになっていたりと、和洋折衷の屋敷になった背景には人助けという意味合いも含まれていたようです。2000年代には取り壊し寸前まで老朽化していましたが、この屋敷を残したいという市民の行動によって大規模な修復が実現し、今も函館市にその姿を残しています。竣工から約110年の時を経た2018年には、国の重要文化財に指定されました。市民に愛されながら長年街を見守り続けてきた屋敷には、一体どのようなこだわりがあるのでしょうか。
 
 

ふくらみが特徴的な「起り屋根」


写真提供:旧相馬家住宅

 
屋敷の顔となる玄関の屋根は「起(むく)り屋根」が採用されています。あまり聞き馴染みのない方も多いかと思いますが、商人家屋や庶民の家に多く使用されていた日本独特の屋根で、凸状に湾曲したふくらみのある形状です。本を開いて伏せたような形状の切妻造、波型の瓦を積んだ桟瓦葺と相まって、日本の文化や歴史が感じられる佇まいに。その中に不思議と可愛らしさも見え隠れします。邸内は和室が大部分を占めており、最もこだわりを感じるのが主座敷と次の間。屋久杉板の竿縁天井や鳳凰を彫刻した欄間など、見るからに格式の高そうな印象を受ける意匠になっています。
華やかな意匠と機能性が特徴的な洋間は、重要文化財に指定される際に特に評価された場所なのだそうです。窓は当時珍しかった二重窓を採用。隙間風対策で、外側は上下、部屋側は左右にと、動く方向を変える工夫が施されています。室内には彫刻や装飾品が配置され、部屋中に巡らせた美しいモールディングが優雅さを際立たせます。扉の引き手部分には、紫外線を当てると蛍光緑色に変化するウランガラスを使用して、デザインのアクセントに。洋間だけを切り取っても、美意識が細部まで行き届いている印象を受けます。職人の技が惜しみなくつまった屋敷には、当時の家主だった初代相馬哲平への敬意が随所に感じられます。では、函館の大恩人とも呼ばれる初代相馬哲平とは、一体どのような人物だったのでしょうか。
 
 

函館に多大な貢献をした初代相馬哲平


写真提供:旧相馬家住宅

 
28歳で函館(当時は箱館)に渡り、晩年には紺綬褒章を賜るほど函館に多大な貢献をされた初代相馬哲平。商売を始めたころは、寝る間を惜しんで働く努力家だったそうです。大きな転機が訪れたのは、1868年に勃発した箱館戦争。戦禍に巻き込まれることを恐れて逃げる市民たちから米を買い集め、自身は米を守るために店に残ります。命知らずと言われてもおかしくない大胆な行動の甲斐あって、戦争終結後の米価格高騰により莫大の利益を生み出すことに成功します。その後も商才を遺憾なく発揮し、一代で北海道を代表する豪商へと登り詰めました。この逸話だけを見ると、利益を最優先に生き抜いた商人像をイメージするかもしれませんが、日常生活では意外と倹約家だったそうです。命懸けの大勝負を仕掛けるような豪胆さからは想像しづらいですよね。さらには郷土報恩の精神が強く、神仏を崇敬する人物だったとも語り継がれています。函館の発展のために資産の多くを寄付していることからも、その思想が如実に表れています。
1908年には函館慈恵院へ1万円(現在の2億円)の寄付。そして、ブルーグレーとイエローの配色が特徴的な「旧函館区公会堂」の新築費用も、大半は初代相馬哲平の寄付によるものでした。その金額は、建築費用の9割近くにあたる5万円(現在の10億円)。100年以上の歴史がある国指定重要文化財で、函館市元町エリアで一際目を引く街のシンボルにとっても影響力のある人物だったようです。その他にも「旧国幣中社(現:函館八幡宮)」や「曹洞宗 高龍寺」への寄進、建物以外にも北海道凶作救済資金や函館区救済米資金などへの寄付もおこなっており、功績は枚挙にいとまがありません。まさに文字通り、函館の大恩人ですね。
 
 

歴代当主の面影が残る場所も


写真提供:旧相馬家住宅

 
初代がこの世を去ったあとも代々の当主が「哲平」を襲名し、旧相馬家住宅に住んでいました。三代目の居室は、美しい床の間に掛け軸や花瓶が置かれた和室で、現在は貸部屋として利用可能。五代目夫妻が居住した部屋は「カフェ元町」として生まれ変わっています。初代の面影も、意匠の細かい部分に残存しています。例えば居間(囲炉裏の間)の天井には通気口を設けており、囲炉裏の暖気が上に行く性質を利用して2階(茶室)を温める構造に。倹約家の一面を表した工夫が施されています。仏間には威厳と格式を感じる仏壇が設置されており、神仏を崇敬する初代の思想が垣間見えます。
そんな代々の哲平にまつわる品は、玄関を入って左手にある資料室にも展示されています。初代相馬哲平夫妻の写真や主な寄付先の一覧、その費用が使われた建物などの写真は一見の価値ありです。歴史や人物像など代々の哲平の姿を想像しながら、屋敷の中を観察してみるのも面白いかもしれませんね。100年以上の歴史が詰まった見応えのある国指定重要文化財。函館に訪れる機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてください。
 
 

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