日本最古の洋館は和洋折衷? その意外な屋根材とは
明治以前からあった最古の木造洋風住宅
1859年(安政6年)、江戸幕府は長きにわたる鎖国政策を終わらせ、長崎・横浜・函館の3つの港を海外に向けて開きました。いわゆる「安政の開国」です。これと同時に長崎の大浦に外国人居留地の造成が始まり、来日した諸外国の商人たちが居を構え、貿易ビジネスを始めました。
そうした貿易商の1人であったのが、スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーです。安政の開国から4年後の1863年(文久3年)、グラバーは、造成が完了した居留地の見晴らしのよい広大な敷地に洋風の住宅を建てました。
洋風の住宅なのに和風?
では、旧グラバー邸はどのような様式で建てられたのでしょうか? 実のところ、設計者も不明で、その様式についてもわかっていないことが多いのです。ベランダはコロニアルスタイルと呼ばれるものに近いのですが、ベランダにかかる深い軒を支える柱には英国風の装飾が施されていたり、建物の窓はフランス風だったりと、いろいろな様式が組み合わされています。
その中でも、特に注目したいのが屋根です。旧グラバー邸の屋根は寄棟造桟瓦葺き(よせむねづくり さんがわらぶき)。つまり、日本に古来より伝わる桟瓦を屋根材としてつくられているのです。
旧グラバー邸の屋根材
江戸時代中期にはポピュラーとなった桟瓦は、現代でも和風住宅に広く使われています。また、旧グラバー邸には、瓦屋根だけでなく、小屋組(屋根の骨組み)は和小屋、外壁は竹を編んだ竹小舞(たけこまい)の下地に漆喰塗など随所に日本の伝統的な建築手法が使われています。
このようなことから、外国人から見るとどことなく日本的な雰囲気が感じ取れるのかもしれません。
和洋折衷の世界遺産
旧グラバー邸は、1961年(昭和36年)に国の重要文化財、また2015年(平成27年)には、「明治日本の産業革命遺産」の1つとして世界文化遺産に登録されました。明治期の近代化のシンボルでもありますが、和と洋の建築技術の融合によるものだったとは興味深いですね。
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